ゆいちゃんの「とんぼのめがね」

何事もない平凡な生活を切り取って行きたいと思います。

白内障の手術 手術日に肺炎 孫ロス



右目の白内障手術をいたしました。手術後、2週間が経ち、やっと保護メガネが外れました。

白内障?

えー? 緑内障じゃなかったの?

そうなんです。

先生が手術をしたら見えるようになるとおっしゃられたので、症状が改善されるなら私は白内障ですかとお聞きしたところ、私は緑内障発作を起こしてしまった重度の白内障だったのです。


失明とか緑内障発作とか医師から何度も何度も大変だ大変だと言われ、気持ちが動転して自分は重い緑内障だと思いこんでいました。

しかし緑内障でも白内障でも再度発作を起こしたら失明することに変わりなく、不安な日々を送っていましたが無事に右目の手術を行うことができました。


右目はもう大丈夫だと医師から太鼓判を押され、ホッとしています。

あとは左目の手術。

左目も発作を起こさないよう医師からきつく注意されているので、しばらく活字とスマホは見ないようにしています。



手術を担当された医師は大きな総合病院の眼科部長であるベテランの先生。すっごく美人の女医さんで、ドクターアシュラを思い浮かべました。

7月にまたアシュラ先生に左目の手術をしていただきます。新しいメガネは手術後、2か月経つまで作れないようなので、秋まで目を使わないようにするつもりです。

ブログの再開は、9月ごろから、それまでしばらく白内障休。


いつもお優しいコメントをいただき、ありがとうございます。秋には帰ってきますので、それまで、よろしくお願いいたします。






手術をした右目はこんな風に見えます。明るい感じです。









手術をしていない左目はこんな感じ。茶色いフィルターがかかっているよう。

比べるものがないと茶色く見えていても正常と思いこんでしまうところがこわいです。











実は白内障の手術の前後2週間ほど、(手術後の4日間を除いて)、3歳の孫をわが家で預かっていました。理由は娘が重い肺炎を起こしてしまったため。


最初に3歳の孫が高熱を出し、次に7歳の孫。次は娘と続けざまに40度近い熱を出してしまい、熱があっても無理を続けていた娘は重症の肺炎になってしまいました。そして体調が戻るまで2週間かかりました。

娘に代わって孫の面倒をみていた私まで肺炎になってしまい、白内障の手術をした日も肺炎でした。

咳も熱もないなら、手術をしても大丈夫とのことで手術をいたしました。

長い間待たされ、やっと手術日が来たのに肺炎で延期になったらどうしようと思いましたが良かったです。

少し息苦しくて、体がだるいので呼吸器内科に行ってみたところ、レントゲンの結果、影があると言われました。

一応、抗生剤を出してもらいましたが、全く影が消えず、効かなかったようです。

それからCTを撮り悪い肺炎ではないということで、普通に生活して良いと言われました。

私は本当に肺炎だったのでしょうか?

血液検査で悪い菌やウィスルは発見されず、原因の分からない肺炎です。この呼吸器内科も何だかハッキリしないなぁと感じました。





孫を預かった日は楽しかったです。バスでの幼稚園の送迎もルンルン。孫も自分の家に戻る時、おばあちゃんちにもっと泊まりたい、帰りたくないと泣き出してしまうほどわが家での生活に馴染んでいました。

帰ってからも、孫がおばあちゃんの家に泊まりたいと泣きそうになると言うので、毎週、決まった日に泊まりに来ることになりました。泊りに来た翌日はお弁当も作って幼稚園に送っていきます。

孫用の食事やキャラ弁を作るのは楽しい。孫のいない日もキャラ弁風おにぎりを食べています。





孫がいなくても、こんな感じ…






孫がいなくなると、すごい孫ロスになります。

早く泊まりにこないかなあ~~






最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

緑内障の手術 鳥山検校 ヒルザキツキミソウ



このブログは音声入力モードで書いています。

みともさんが緑内障の手術をされたとき、たいへん気の毒に思っていたのですが、あの時、私も眼科を受診していたら、こんなことにはなっていなかったと思います。緑内障患者のおよそ9割が病気に気づいていないらしく、私もその1人でした。


目が疲れやすいので、眼科を受診したところ、末期の緑内障と言われました。

末期???

既に一度、緑内障の発作を起こしていたらしく、もう一度起こしたら失明するとまで言われました。手術の日は、右目が6月12日。左目が7月10日。

それまで、スマホ、パソコン、読書は禁止。先生から手術が終わったらいくらでも近くを見れるのだから、絶対に今は近くを見るなと念を押されました。手術を待たずに失明する人がいるそうです。






どうしてもスマホを見なくてはならない時は







とっさに聖書に出てくるロトの妻を思い出しました。ソドムから逃げる途中、振り返るなとの神の言いつけに背いて塩の柱にされたあの伝説の妻です。

本を読みたいし、スマホで調べ物もしたい、だけどロトの妻には成りたくない。私は塩の柱でなく、鳥山検校になってしまうのですが…

今はテレビやスマホも音だけを聴いています。メールも音声入力モードで書いています。

ブログの訪問も7月まで我慢しなくてはなりません。本当に残念です。

ここまで酷使してしまった目に申し訳ないと思っています。


ひどい緑内障でも普通に見えていて発作が起きたことすら記憶にありません。

五感の中でも目が一番大切。光と色彩が失われたら、朝ドラのように絶望の隣には希望があるなんて言ってられません。絶望の隣にも絶望しかないです。


緑内障は早期発見が大切。私のようにならないよう、皆さま、どうか今日にでも眼科を受診されて下さいね。






鳥山検校さん、私をお仲間にしないでくださいね…






目に優しい緑の植物、タカトウダイ。













サボテンと可愛い多肉植物













早淵川のアオサギ












ヒルザキツキミソウ




















ナニワイバラ















何もできずヒマなので、最近は夫と大学野球の応援に行っています。今日もこれから行く予定です。中央大学との練習試合だそうです。



前回観戦した試合は12対2で夫の母校が勝ちました。この日も練習試合。現在、進行中の六大学野球では負けてばかり。

元ヤクルトスワローズの選手で今は解説者のMさんが隣のベンチに座っていらした方とお話していました。M さんの息子さんも夫と同じ大学なのでしょうね。





前回の試合。




遠くに武蔵小杉のタワマンが見えます。









それから図書館に借りた本を返しに行きます。しばらく本は読めません。

下は予約中の本。みかんさんのブログで紹介されていた本は予約時、99人待ちでした。

私の手術が終わってもまだまだ待たされそう。楳図かずおさんの本も手術が終わっても借りられそうにないです。今は読めないので、丁度いいです。









やることがないので、夕飯の食事の品数が増えました。

夫の好きなフキの煮物。







2025年の夏は緑内障との戦い。今は自分の生活を改善する良きチャンスだと思っています。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

風間俊介「3年B組金八先生」 友田オレ 高安



風間俊介くん





風間俊介くんを描いてみました。

くん?

そうなんですよ。風間くんといえば、私は「3年B組金八先生」に出演していた時の兼末健次郎をすぐに思い出してしまうのです。あの時のインパクトが強すぎて....

彼の真に迫った演技が素晴らしくて、確か新人賞もとられた思います。

息子も遅い思春期でイジメにあったり、家では寺内貫太郎(ちゃぶ台返しならぬ、ダイニングテーブル返し)をしていたので、我が家に重ねて、毎週、私は暗く悲しい気持ちになっていました。

そういうわけで、風間俊介といえば、未だに健次郎になってしまうのです。


司会もこなされ、べらぼうにも出演されていてもう立派な大人なのに...

ちなみに「3年B組金八先生」は全部で8シリーズあり、32年も続いたようですが、風間くんの出演した第5シリーズが最高傑作だと言われています。風間俊介の飛び抜けた演技力のおかげかな?





ついでに金八先生も…








風間繋がりで、友田オレさんのお笑いネタ「風間和彦」も紹介したいです。


友田オレさんは、2025年のR-1グランプリの王者。

「風間和彦」はその時の友田レオさんの決勝戦のネタ。

私はYouTubeで何回も見て笑っています。笑いのツボは人によって違うので、どこが面白いんだって思う人もいるかも知れませんが...




友田レオさんは、まだ23歳。最年少の王者だそうで、去年まで早稲田の学生。

親は早稲田まで行ってお笑い芸人になんかなるなよ、みたいに思われていたことと思います。

王者になったから、もう認めてもらえたことでしょうね。


R-1グランプリは最初から観ていましたが、他の人はあまり面白くなかったです。






R-1グランプリ、友田オレの決勝戦。↓ 「風間和彦」からい食べもの節



友田オレ【決勝ネタ/ファーストステージ】R-1グランプリ2025






友田オレさんも描いてみました。






私は吉住を応援していたのですが、今回のネタはあまり良くなくて敗退してしまいました。

負けたといえば、前回の大相撲で大の里に負けて優勝を逃した「高安」が残念でしたね。


高安が好きな夫は、高安に優勝させたかったようです。

高安のことを調べると、何回も相撲部屋から脱走(お母さんによると10回も)したとか、お母さんが部屋まで高安の好きな料理を作って届けるのだとか。

お母さんの気持ちを考えると、目がウルウルして来ます。高安関に親近感を感じて好きになりました。

次の場所から、夫と高安を応援しようと思っています。







高安関も描いてみました。







ご訪問いただきありがとうございます。

べらぼう『箱入娘面屋人魚』『塩売文太物語』





べらぼうは面白いですね。大河ドラマというより、Eテレを見ているようで私たちの知らない江戸時代が見られて、ありがた山です。

毎回、へぇ~わぁ~と思いながらドラマを観ています。前回の百人一首をパロディ化する演出も素晴らしかったです。興味の幅が広がって、色々調べたくなり勉強になります。


100カメにもありましたが総勢100人超で撮った俄祭りの回が素晴らしかったです。

「可能な限り生き生きと映像に」ということで、蔦重が発刊した絵本『明月余情』を研究して映像化したということです。スケールの大きな「芸能の戦い」になっていました。もう絶賛するしかないです。


脚本家の森下佳子さん、源内、蔦重、喜三次を生き生きと描いていますね。特に二がいい。を閃いた表情がたまらなく好きです。

それから寺田心くん演じる松平定信、田沼時代の後に彼の時代が来ますが、心くんでどう描かれるのか待ち遠しいです。





本はたくさんの幸せを運んできますね。

 蔦重重三郎が版元として出版した本に『箱入娘面屋人魚』(はこいりむすめめんやにんぎや)があります。

美女、体は魚の遊女が出て来る話。アンデルセンの人魚姫は悲しいですが、こちらは笑えます。最後はハッピーエンドです。

べらぼうに『箱入娘面屋人魚』出版の顛末が描かれたらよいのにと思います。






「人魚」を描いてみました。ちょっと可愛すぎ。




少し不気味にしてみました。こんな感じですよね。


 


 本物の絵はこちら↓です。さらに不気味です。




 「箱入娘面屋人魚」は、竜宮城で乙姫と夫婦になった浦島太郎が美しい鯉と浮気して生まれた娘、顔が美女で体は魚の「人魚」が主人公。

この娘は結婚したり、遊女になって花魁道中したり、客から生臭いといって嫌われたり、とにかくメチャクチャはじけているので笑えちゃいます。これなら今でも楽しく読めますね。





詳しい内容はこちらから読めます。↓



上のサイトで読めない方は、こちらで↓


浦島太郎の子どもが人面魚遊女に!『箱入娘面屋人魚』のストーリーが斜め上すぎる | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!





この時代には面白い本がたくさんあったようです。江戸の作家たちは凄い!!

蔦重との思い出の詰まった『塩売文太物語』。瀬川がボロボロになるまで読んでいた本です。最後は本を置いて「おさらばえ」って去って行っちゃいましたが…





瀬川が読んでいた本。興味のある方は、こちらからご覧ください。↓ 朗読でも聴くことが出来ます。






❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.





久々の更新です。なかなか自分の時間が取れなくて、やっと取れた時間は貴重なので、ブログでなくやりたいことをやっています。スミマセン。

それでもご縁のあったブロガーさんとつながっていたいので、月1回か2回でも更新したいと思っています

そんないい加減なわたしですが、よろしくお願いいたします。(*- -)(*_ _)ペコリ






ご訪問いただき、ありがとうございます。

「四十八茶百鼠」しじゅうはっちゃひゃくねずみ 落語と「こっちへお入り」





べらぼうのせいで、江戸時代がマイブームになっています。

花魁文化は江戸を語るに欠かせないものですが、吉原は知れば知るほど悲しいところ。

貧困や借金した親のために売られて来た娘さんたちにとって性的搾取され続ける生き地獄。

過酷な仕事や梅毒の感染、さらに危険な堕胎によって命を落とす遊女が多く、ひと月に運び込まれる遺体の数の平均はなんと40人とか。

28歳で年季が開けるのですが、その前に亡くなる遊女が多く平均寿命は22歳。

ドラマでも裸で捨てられていたショッキングなシーンがありました。吉原はべらぼうにひどいところです。

蔦重はそれを承知で、吉原を楽しい所にしたいと願っているのですね。




吉原だけを見ているとひどい所に思えますが、江戸は世界に誇れるインフラの整備された衛生的な都市、悪い事ことばかりではないです。



江戸幕府が発令した贅沢禁止令のおかげで「四十八茶百鼠」しじゅうはっちゃひゃくねずみという日本の伝統色が生まれたことなど、どんな状況下でも工夫して微妙な色合いを楽しむ日本人がいて、江戸時代は素晴らしい!!








上の画像は「四十八茶百鼠」の代表的な「茶」「鼠」のカラーバリエーション。他にもバリエーションは100種類もあるらしいです。
「四十八茶百鼠」の四十八や百は色数ではなく多色と云う意味。


「庶民の贅沢は駄目、質素に」との考えから、江戸幕府が発令した奢侈禁止令。
江戸の庶民が身につけられた着物の素材は「麻」か「綿」。
色は「茶色」「鼠色」「藍色」のみと制約されていたようですが、他の人とは違うものを着たいという欲求は昔も変わらないようで、職人さんたちが試行錯誤した結果、微妙な色調を工夫し着物を染め上げ、生まれたのが「四十八茶百鼠」という色合い。


当時の市民が微妙な色彩の違いを見極め、楽しんでいたというのは本当に驚きです。
日本人の世界でもトップクラスの色彩を分析し、見分ける能力はそのころ身についたのかも知れませんね。




特に私の好きない色は、利休鼠(りきゅうねず、りきゅうねずみ)。

利休鼠は緑色がかった灰色。

名の由来として「地味で控えめな色彩であることから、侘びた色として侘茶を大成させた利休を連想した。」「地味で品のある色合いから、利休好みの色と想像された。」「抹茶のような緑から利休を連想した。」などの説があるようです。




利休鼠を着た浮世絵





今着てもお洒落。利休鼠の瓢箪なまず




これも利休鼠?



利休鼠
りきゅうねず
 
16進表記#888E7E
RGB(136, 142, 126)
CMYK(4, 0, 11, 44)
HSV(83°, 11%, 56%)
マンセル値-
表示されている色は一例です








それから今はハマっているのが、落語。

落語は鑑賞しているだけでなく、自分でも演じたい、落語教室に本気で通いたいと思っています。

落語は一人で何人もの人を演じ分ける究極の芝居。若いころある劇団にいて演技の勉強をしていたことがあるので、落語をやるとあの頃のワクワク感を取りもどせそうな気がします。

孫の子守が卒業したら、晩年にやりたいことはこれかな。

自分なりの新作落語も作ってみたい。何だか夢があります。^_^






「こっちへ お入り」




この本を読むと落語の世界にぐいぐい引き込まれます。

ますます落語が好きになる。
落語の面白さを教えてくれる本…



とにかく落語というのは江戸を知るうえで格好の教科書、奥が深いです。






:∵⌒∵💕⌒∵:,_,:∵⌒∵






さて、孫の3歳の誕生日プレゼントを何にしようかと迷っていましたが、選んだのは、これ、「へんがおならべ」。

これは良かったです。

大爆笑して、7歳の姉と遊んでいます。どんな変顔ができるのか楽しくてしかたない!!

パパやママとも、家族みんなで遊べます。



だいたい、何の記念日でもないのに孫にオモチャを買ってあげまくっているので、いざ誕生日となるとプレゼントするものがなくて困ります。良いものが見つかって良かったです。





「へんがおならべ」








ゲームになっているのですが、カードを組み合わせて「変顔」を作るだけでも楽しめます。














ては、今日は変顔でバイバイです。👋

ご訪問ありがとうございます。