ゆいちゃんの「とんぼのめがね」

何事もない平凡な生活を切り取って行きたいと思います。

乳がん手術後、7年生存しております

平成23年の九月、乳腺クリニックにて乳ガンと告知されました。62歳の時でした。
右の胸の上部が盛り上がっており、虫に刺されたとばかり思って、最初に行ったのが整形外科。そこで乳腺外来へ行くようにすすめられ、訪れたクリニックでガンと告知されました。



昔とちがって、今やガンはしっかり本人に告知されます。
主治医である院長は、私がガンであること、これほどのたちの悪いガンは見たことがないこと、進行がおそろしく早いガンであること、治療はぜったい失敗できない、ということを専門的なコトバもまじえて、説明してくださいました。



告知されたときの心境はといいますと、ショックでも絶望するでもなく、人ごとのように淡々と説明を聞いておりました。院長の脅しのようなたちの悪いガンという言葉の連発にもひるむことなくです。
せっかくガンになったのだから、ガンを楽しんでやろうと真っ先に思いました。
私がガンだと告げると、家族や友人たちは涙目になったりして、心配してくれました。本人はなんともないのにです。



さっそく医療用かつらを新調しました。自分がガンであるという経験が珍しくてたまらず、未知の経験への好奇心でいっぱいでした。もしかしたらその先に死がまっているかもしれないのにです。ほんとうにお気楽で、やっぱりバカなんですね、私って。
でもその根底にあったものは「自分は死なない」という絶対的な自信でした。




髪の毛が抜けてなくなると、かつらが頭に自然にフィットします。
どこにいっても、かつらとはわからない、にあうと褒められました。
今では同じかつらをかぶっても、かつらだとすぐにバレてしまいます。



かつらをかぶってはじめて診察にいったとき、ベッドに横になった瞬間、かつらが脱げてしまい、バラエティー番組状態でした。ああ~恥ずかし~
かつら初心者でかぶり方がまずかったのです。



抗がん剤の点滴は、専用の部屋で5~6人の患者さんか和になって座り、一斉に行われました。
毎週行くので顔見知りになった患者さんもいて、というよりいつも同じメンバーなので会話がはずみました。
「そのかつら、にあうね」「どこで買ったの」「私は再発よ」「胃にも転移してね」などと、自分の病状を語り合い、家族環境を面白おかしく話したり、修学旅行にでもいったように和気あいあいと語り合いました。再発とか胃への転移とか、深刻な病状の方もいらしたにもかかわらず、そこにいた患者さんはみんな明るかったです。



同じ病気の患者さんが集まるということは、よい結果につながっていたのではないかと思います。点滴しながら、ガン患者の会に参加しているようなものでしたから。落ち込む人も、がんばってる患者さんから、元気と勇気をもらえました。
患者さんには、若い方は40代から、80代の高齢の方もいらしゃいました。



こうしてガンになっても悲観せず、にこにこ顔でいたのがよかったのか、抗がん剤治療を終えたころには、私のガンは消えていました。〇〇さんと同じだね、消えたね、と主治医である院長先生に弾んだ声でいわれました。ガンが消えたことを喜んでいるのは自分より院長先生のように見えました。



それでも予定していた手術と1ヶ月にわたる放射線治療が行われ、私のガン治療が終わりました。


今は、半年ごとにマンモやエコー、肺のレントゲン撮影、血液検査などを行っております。今回の検査はコロナの感染がこわいので延期しております。
ガンに打ち勝っても、コロナでコロリでは目もあてられません。
みなさまも何卒、お気をつけくださいませ~






 神奈川県医療連携手帳(乳がん)

×

非ログインユーザーとして返信する